井上ジョー "瞳 ~He Told Me~"

風景画的音楽。

 

2009年のアルバム 'ME! ME! ME!' 収録のこの曲。靄がかかったような神秘的で浮遊感のあるナンバーです。

 

以下、歌詞です。

 

瞳 ~He Told Me~ by 井上ジョー

 

空を飛んでた

夢から覚めた

光が差し込む

 

二度寝るのは

今から止めだ

光が差し込む

 

今打ち明けたい

その瞳は

僕を魅了してしまった

 

打ち明けたい

その瞳は

僕を魅了してしまったんだ

 

踊り踊る

手を繋ぎながら

無邪気な森の精

 

みとれるのは

美しいからだ

光りが差し込む

 

今打ち明けたい

その瞳は

僕を魅了してしまった

打ち明けたい

その瞳は

僕を魅了してしまったんだ 

 

 

英語で副題がついていますが、このアルバム発売前のシングル曲でも同じようなダジャレは見られます。何か意味があるわけではなくて、ちょっとしたユーモアだと思います。

 

まず注目したいのが、第二段の「二度寝るのは/今から止めだ」というフレーズ。全体に抽象的で芸術性の高い歌詞の中でここだけがリアルで卑近ですよね。ストイックに徹するとやりすぎになると考えて、クスっと笑えるポイントを一つ作っておきたかったのかなと思いました。でもタダでは起きないのが井上ジョー。これは第五段と韻を踏んでいるんですねぇ。プロフェッショナル!!

 

第五段で登場する「無邪気な森の精」というフレーズ。19世紀ロシアの作家チェーホフにも『無邪気な森の精』というまるっきり同じタイトルがあります。まぁこの短編は、人間界に送り出された森の妖精がこの世界をこき下ろすというブラックジョークなお話なので、この歌詞とはまったく関係ないです。単なる偶然の一致なんですが、ロシア文学好き向けたちょっとしたトリビアでした。

 

続く第六段の「光りが差し込む」。曲を通して三回出てくるフレーズですが、ここだけ「光」ではなく「光り」となっています。何が起きているかというと、前者が名詞、後者が動詞「光る」の連用形となっています(「話・話し」と同じ区別の仕方ですね)。まぁこれには特に意味はなくて、単なる誤植なんじゃないかとは思います。

  

第一段の「空を飛んでた夢から覚めた/光が差し込む」というライン。これには二通りの解釈ができて、

① 空を飛ぶ夢を見ていたが、そこから目覚めた。窓からは朝の光が差し込んでいる。

② それぞれ三つの比喩を並列している。

と受け取ることが可能です。

① の解釈は、順番通りに物事が起きたと考えて字義通り受け取った場合ですね。語り手には自身の実生活に何らかの不満があって、そこから逃げ出したいという潜在意識を持っている、ということを汲み取ることができます。これに対して語り手は、現実逃避は解決策ではない(だから二度寝をせず夢見るのをやめる)と考えています。この夢について、この夢を見るきっかけとなる自身を取り巻く環境について、要するにこの一連のことすべてについてうんざりしていることまで読み取れるかもしれません。

② の場合、これは暗喩ということになるでしょう。現実に起きたことを空を飛ぶことや夢から覚めることに置き換えているわけです。これがポジティブな意味なのかネガティブな意味なのかは分かりません。ジョーさんのみぞ知ると言ったところです。

自身のルーツである日本でのデビューが決まり天にも昇るような高揚感を感じていましたが(そういえば実際日本にはアメリカから空を飛んできていますね、興味深い一致です)、思い通りに行かないことも多く醒めてしまった、とか。それでもチャンスは舞い込んでくるから不貞寝していてはダメだ、とか。そんなストーリーを暗示しているのかもしれません。

 

夢というのは面白い単語です。寝ているときに見るものを意味することもあれば、将来への希望を表すこともあります。共通するのは、今その瞬間には起きていないものであるということです。前者の夢のなかでは昔起きたことが再現されたりもしくはこれから起きることが予見されたりはしますが、現在起きていることを見せることはありませんよね(寝ている自分の姿が見える、というのは超常現象なので別にしましょう)。夢とは、絶対に現在起きていることではありません。

ですから、夢を見るのをやめるということには、現実を直視するという意味が含まれてくるわけです。それは二度寝をやめる文脈でも野球選手をあきらめる文脈でも同じことです。二本の足で立って、リアルを受け止める決意がそこにはあるんです。

 

何といっても全体的にものすごくぼんやりとした世界観ですよね。「」「」「」とかなり抽象的な歌詞で、ともするとトリッピーな印象すらあります。アコギのアルペジオや根無し草のようなキーボードの音色を使ってこの曲が描きたかったのは、触れれば崩れてしまいそうなジョーさんの儚い内面世界だったんじゃないかと思います。

ジョーさんの心の中に存在する『空』や『森』、さらには『美しいもの』。そうした精神世界を舞台としてこの曲が書かれているんじゃないでしょうか。

 

この曲の2サビ後の間奏はドラムソロにあてられているように感じるんですが、これは "ハミングバード" に次ぐ名ソロかもしれません。"ハミングバード" のアウトロは(どのパートを取ってもそうですが)満場一致で最高でしょうけど、地味ながらこの曲のドラムソロも聴きどころだったりします。まぁソロって言っておきながら他の楽器も演奏してますし音量的にもあまりメインな感じはしませんが、私はこれ意図された演出だと主張しますよ。

"ハミングバード" のアウトロは渦巻く感情をフルに爆発させた様子なんですが、こちらではあえて抑え込んでいるんです。表面では平気な顔をして(普通に楽曲を進めて)取り繕っているんですが、内側では激しく拍動している(ドラムを暴れさせている)んです。心の片隅に潜む凶暴性をドラムソロに込めた魂の叫びなんです。

 

空があり、森があり、無垢な妖精たちが踊り明かすような場所かと思えば、その対岸では荒れ狂う激情が併存している。そんな均衡を描いた作品ではないでしょうか。

 

最後に、語り手を魅了した「」とは何だったんでしょうか。誰か特定の人物の目元をさしているのか、それとも...?