井上ジョー "Jiwa Jiwa (In My Mind)"

"幻"、"Zawawa" に次ぐ、冬の傑作!

 

この曲は、2018年のアルバム 'Farmland' に収録されています。サビに向けてだんだんとボルテージが上がっていく、人肌が恋しくなるような切ない歌です。

 


Jiwa Jiwa (In My Mind) Official Music Video

 

歌詞は公式 HP に載っていますよ。

 

曲調とか醸し出される切ない感じとかがもう失恋のハリケーンを起こしてます。歌詞はもう「きみがぼくの横にいた」痕跡のオンパレードですよ。

第一段では、まず季節の描写。売れる曲の定番スタイルとしてまず状況を示すというものがあるそうですね。からっと晴れているのか土砂降りなのか、海がきらめく潮風に吹かれているのか人肌恋しい凍て風に身を刻まれているのか。こういった情景描写は単なる景色の説明に留まるわけではなくて、どこかで人の感情を反映しています。人はそれを知ってか知らずか感じ取って、曲の世界に感情移入を始めるわけです。

で、『今一人』とか『冷え切った布団』と来るわけです。寂しいか寂しくないかを敢えて問題にしないとしても、現在一人でいることを強く感じるのも布団にぬくもりがあったのも、言うまでもありませんが誰かが隣にいたという状況がたしかに存在したからですよね。

続くパートでは、心がまさに路頭に迷っている様子がうかがえます。行く当てがなくてふらふらしているような。空は雲一つない冬晴れです。空気には刺すような冷たさこそあるでしょうが、基本的にはお出かけ日和なはずなんです。でもやはり とある理由 から、何をしても楽しむことができない。もしかすると、「きみ」とあまりに長くいたので、一人での楽しみ方を忘れてしまったのかもしれません…。おいおい切ないなぁ。

 

さて、状況変わって第二段。ここからギターも合流してきて、場面が緊張に転換します。

ここで、今までは暗に示されるだけだった「きみ」の存在が露顕します。夢から醒めても、そこにいるはずの「きみ」はもう居ない。夢の中では、触れることができるほど近くにいたかもしれないしもしくはただ遠くから笑顔を眺めていただけかもしれない。確かなのは、そこでは「きみ」との楽しかった日々が再生されていた、でもこのままではもう二度とそれが再現されることはない、ということです。やはり「きみ」はいない。そんな現実に突き当たった主人公は、ただただここにあるかもしれなかったもう一つの現実を思い描くだけです。

 

さぁサビとなる感動の第三段。じわりじわりと楽器隊が高まっていくように、「きみ」への思いも募っていきます。「きみ」と離れてかなり経つのかもしれません。その長い期間は、傷と癒してくれるのではなくむしろぽっかりと開いた穴を広げていったようです。そこに流れ込むのは「きみ」のその姿。

ここでひとつ解釈が分かれてくるのは、『プルプル』の意味するところですね。正しい解釈なんてものは存在しませんのでひとりひとりお好きなように考えていればいいと思いますが。西野カナばりに、会いたすぎて震えていて『プルプル』しているのか、それともこの状況下でどう立ちふるまえばいいかわからずナーバスになって『プルプル』しているのか。いろんな見方ができます。

最後に主人公がとった行動は、「きみ」のもとに駆けていくことではありませんでした。『流れに任せ』たんですね。

 

話は逸れますが、私自身の座右の銘は「無為自然」です。ちょっとした運命論者というか、なるようにしかならないなぁと思って生きているので、無理に何かをしようとすることは私の行動倫理に反します。ブログは毎日継続することが大切、とどこにでも書いてありますが、私は気が向いた時にしか書きません。

果たして流れというものは私が干渉していくことで変わるものなんでしょうか、それとも私の存在とは関係なく大きな歴史の流れとしてすでに存在するものなのでしょうか。例えば、私が暇に紛れてこのブログを書くことで、何かが変わるものなのでしょうか。もしかしたら、このブログを読んでジョーさんの楽曲に関して知見が深まった、より好きになった、という人がいればそれは誰かや何かの流れを変えたことになるのかもしれません。でも、私がやらなくても他の誰かがこういったブログを始めていたかもしれませんし、読者さんがある日「この曲はこうだな」と自分で解釈を始められたかもしれません。もしくは、はなから私がブログを始めることやこうした内容を書くこと自体が歴史の一部として定められていたことなのかもしれません。果たして私がブログを書くというささやかな行動は、流れに任せた結果なんでしょうか。うぅむ。

 

さて、最後にこの曲を締めるフレーズは『物語の行方はいかに』。この歌詞にうまくフィットしていながら、メタ的に世界観のギャップを突いた良いラインです。私たちはとある楽曲として、MV ではジョーさんが演じる一つのドラマとしてこの架空の物語を消費していますが、転じてこうした物語は現実でもありえます。今この瞬間にも、誰かがこうしてイチョウの葉っぱを爪弾いているのかもしれないんです。その彼か彼女かが、皮肉っぽく『物語』なんて言ってるのかもしれません。これがメタ表現の真髄ですね。このストーリーが現実なのかフィクションなのか、その線引きがはっきりすると同時にあいまいになるんです。

こうしたメタ的視点を裏付けるのが、MV で効果的に配置され印象に残る書物の存在です。この曲はこの本に書かれている物語なんだよ、ということを暗示していると解釈することも可能です。物語と本、ここにはリンクがあるような気がします。

また、さきほどの運命論的な話とも関連させると、物語ということは誰かの創作物ということになりますね。我々は誰かが作ったシナリオを生きてるのかもね、なんてことを示唆しているようなしていないような。興味深いです。

 

 

この曲は何度も動画のエンディングに使用されていましたから知名度は高い方でしたし、実際なかなか良い曲ではありました。ですが、2021年2月20日、突如公開されたこの MV のおかげで、最高傑作の仲間入りを果たしたのではないかと感じます。

 

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YouTube の概要欄や Instagram の投稿で、ジョーさんにしては珍しく(?)多くの情報が公開されています。まぁ今までの MV が「旅先で自力で」というスタイルが多かったのでクレジットの必要がなかったからなのかもしれませんが。今回 MV の監督を務めたのが、Mr. TAKUX こと大西 択弥(おおにし たくや)さん。29歳にして自身の撮影会社をお持ちのようで、拠点とする福岡県北九州市を中心にキレイな観光地の映像を YouTube にアップされています。彼の HP を見てみると、執筆時点ではなんと一番トップに "Jiwa Jiwa" が!! (2021年3月11日追記:確認したところ、今では作品分の一くらいの扱いになっていますね。だんだんと HP のレイアウトは変わっていくんでしょうけど、MV 公開直後はリンクを踏むとまっさきに目に飛び込んできていたんですよほんとに)

そして、MV 尺の半分ほどで使われている印象的な屋内ロケーションですが、ルーさんという方のご自宅なんだそうです。こういった記事でも紹介されていますね。ルーさんの Instagram 投稿からは、この MV ができるまでのちょっとした裏話を知ることができます。

 

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お二方ともその道でこれからいかようにも化けていける伸びしろがあるようですから、ジョーさんファミリーの一員として応援していきたいですね。

 

ジョーさんももちろん映像作家として機材しかりイマジネーションしかりをお持ちで、"Beautiful World" などなど特に夜景の撮影にはかなりこだわりがあるんじゃないかと思います。ですが、やはり自分で何でもやる、ということには無理がでてくる部分もあります。そうなってくると、費用対効果というかコスパというかが大事になってきます。自分で全部こなせれば安く上がりますしストレスもないですし。とはいえ、自分が被写体になるか撮影者になるかを選んでしまえば、ときには自分と人の意見を混ぜあいながら、自分自身は片方に集中することができます。どことなくですが、ここでのジョーさんはかなりリラックスしてるように見えました。どこまでディレクションに関わっているかはわかりませんが、自分はあくまで被写体に徹しているというか、よくこんな姿のジョーさんを撮ってくれたぞ! という感じです。あとは宣伝の部分で大きく広がりが出たりもしますよね。

ジョーさん自身、これはちょっとした挑戦なんじゃないかと思います。せっかく高画質動画を撮ってもいまいち伸びなかったりとかすると拗ねてしまうことが多いジョーさんですから、他の分野の方とのコラボもこれからの定番になるかはわかりません。まぁ今までよりも人の手をかなり取り入れた結果として、今までの動画群にはなかったような新鮮で美しいものができたのは事実です。これがうまくハネてくれさえすれば... これからもときめくような MV を取ってくれるはずです。

とどのつまりは、みんなの幸せのためにはこの MV が何度も再生されることが肝要だということですよ。やっぱファンも、MV の中くらいはかっこいいジョーさんを見たいですから。言い過ぎですか?