井上ジョー "ハミングバード"

最高に美しい。

 

この曲は、2007年のミニアルバム 'In a Way' のラストチューンです。ロックテイストなデビューアルバムの中で異彩を放つ一曲です。

 


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名曲から生まれた名文

この曲を端的に説明する名文がインターネットには存在します。こちらです。

 

デビューアルバムに収録された作品ながら最高傑作との呼び声も高い超名曲。逆再生の MV や重すぎる歌詞から、感情が爆発する変拍子アウトロに情感こもったまなざしまで、すべてが完璧な曲です。 さわやかでハッピーな曲を書く一方で、ジョーさんがこういう血の滴る刃のような内面を隠し持っているというのは、軽く衝撃的だったんじゃないでしょうか。内なる葛藤を昇華させた芸術作品です。

 

これ5か月前に私が書いたんですけどね。

「軽く衝撃的」とか言ってますけど、こういった楽曲をデビューアルバムに入れるというのがものすごいことだと思うんです。というのも、この作品の前にシングルとか発表していないんです。まさにこの 'In a Way' が初めて出した音源だったはずなわけで。自分はこういう曲を書くアーティストですよ、自分はこういう人間ですよ、っていうのを引っ提げていくそんなアルバムに、こうした陰鬱な楽曲を入れていく度胸たるや。発売当時初めてアルバムを聞いた人は、きっといろいろな意味でザワザワとした気持ちでアルバムを聞き終えただろうと思います。楽曲自体は純粋な芸術性を持っていて素晴らしい作品だと思いますが、どういったプロモーション意図でこの曲売り出そうと思っていたのか、レーベルにも聞いてみたいものです。

 

タイトルの象徴するもの

ハミングバードとは

ナスカの地上絵でも有名なハミングバード Humming Bird とは「ハチドリ」という意味ですね。歌詞を見ればわかるように、曲中にハミングバードという単語は登場しません。まったくのインスピレーションで付けたタイトルみたいです。ジョーさんに少なからぬ影響を与えたバンドであるスピッツもよくこういうことをしますよね。歌詞とは全く関連しなさそうな単語をタイトルにするという。

90年代の日本にはハミング・バードというロックバンドがあったり、最近では Novelbright や Blue Encount といったバンドが "ハミングバード" という曲を出していたりします。彼らはどんな思い願いを込めて、このカラフルな小鳥に曲名やバンド名を託したのでしょうか。皆さんはこの単語からどんなことを連想しますでしょうか。

 

メタファーとして

自分で設定しておきながら前者の問いには答えようがありませんが、後者についてはちゃんと答えますよ。一般的にハチドリが象徴するとされているのは、「永遠」「無限」であるようです。ハチドリは主食である花の蜜を吸うために、猛烈に羽ばたいて空中で静止します。これをスローモーションで捉えると羽を ∞ の形に動かしているのがわかるそうで、この数学記号から無限を象徴するということになっています。ちなみに同じ現象でも、日本では羽を八の字に動かすから『「ハチ」ドリ』というように名前の由来になっています(私は蜜を吸うから『「蜂」ドリ』かと思ってました。まぁ諸説ありですね)。

そんなハチドリがメタファーとして使われている中で最も有名なのは、映画「ベンジャミン・バトン」でしょう。映画を通して象徴的にハチドリの映像が使われており、ファンの間ではこれが何を意味するのかが議論となっていますが、まぁやはり大方「永遠を意味している」ということで落ち着いているようです。気になる方は映画と合わせて考察してみてください。

 

生態を見てみる

さて、ここまでは一般的なハチドリの象徴的意味について見てきましたが、私がハチドリと聞いて思い浮かべる意味はこれとは正反対でした。それは、「儚さ」です。

いや、普通に考えてそっちじゃないですか? 私は鳥類学者ではないので Wikipedia で得られるほどの手前の知識しかありませんが、その生態を眺めてみるとどうしてこういう生き方を選択しているのかが不思議に思えます。

まず驚いたのはその体の小ささです。その美しい発色の体は鳥にしてはかなり小さく、種によっては全長6cm、体重2gしかありません。大きさも重さも一円玉何枚か程度しかないわけですが、それでも、虫のように蜜を吸うために花に乗るには大きすぎるんだそうです。そういうわけで先ほど述べたホバリングの能力を手に入れましたが、それを実現するためには筋肉の活動量を増やさないといけないので、心拍数は1分間に1200回にも及ぶと言われています。一秒で60回です。生物が生涯で打つ拍動の総数は決まっていて、カメやゾウのように長生きする動物は脈がゆっくりです。裏を返せば、ハチドリに長生きは不可能ということになります(10年生きる個体も珍しくないそうですが)。あとは蜜を三時間飲めないと死んでしまうとかね。

こうやって生態を見ていくと、美しい姿を持つ反面、小さく儚くもろい存在であるようにしか思えません。やはり花のように美しい存在は、すぐに枯れてしまうことが自然の摂理なのでしょうか。明るく輝く星は、早く燃え尽きてしまうのが必然なのでしょうか。

 

私が思う含意

さて、長々とハチドリの授業をしてきましたが、「永遠」「無限」という意味を背負わされた彼らの生態を眺めてみると、もう一方では「美しく小さく、まさに儚い存在である」という見方も出来そうです。そしてこれがまさに、この "ハミングバード" という曲の本質ではないかと思うのです(これが言いたかった、やっと言えた)。

では、この曲を語るうえで欠かすことのできない歌詞を見ながら、この曲の本質とはなんであるかを考えていきましょう。

 

重すぎる歌詞

ハミングバード

作詞・作曲:井上ジョー

 

朝起きて
歯磨いて
思い出して
死にたくなる

この痛み
いつからか
そんな事
わからない

何もない、誰も居ない

あのままあなたとこの世から消えたかったよ
ずっとずっと夢見てた

あの頃のあなたとこの世から消えたかったよ
ずっとずっと忘れないでね

この痛み
いつまでか
そんな事
わからないさ

 

アルバム発売時、弱冠22歳。アメリカに生まれながら自身のルーツである日本にデモテープを送ったジョーさん。無事デビューを勝ち取り、これからの音楽活動に希望を抱いていたはずです。そんな中で、こうした歌詞が生まれたわけです。そんな中で、このような曲をアルバムにいれようと決めたわけです。

 

「何か」と「誰か」をめぐって

この物語が始まる前には、主人公には何かとても大きなトラウマティックな出来事があったと推測できます。目が覚めてから顔を洗うという、ぼんやりした頭で行うルーティーン的な動作の中でさえもどんよりとのしかかってくる『何か』は絶え間ない希死念慮をもたらしているようです。

ちなみに、この物語はどこか特別な日付を意識しているのでしょうか。おそらく、その『何か』が起こって何年、というわけではなく、なんてことない日常の一ページなのでしょう。特段なんということなく、「あぁ死んだらどうなるかな」とふと思うのがまさに希死念慮であって、これは消極的な自殺願望とも言えるでしょう。

この歌詞の第一段からは、高い位置についた窓から白い朝日が差し込んでくる無機質な洗面所で歯ブラシを咥え鏡をのぞき込む横顔が見えます。笑顔の一つでも浮かべれば歯磨き粉のCMにでもなりそうなセットアップですが、きっとその横顔には吹き出物や産毛などもない代わりに動脈の浮き上がりも見えないのでしょう。朝という時間帯は明るい一日の始まりを連想させるとともに、夜という暗く何も期待されることのない自由な時間帯の終わり、そして社会活動への否応ない参加の始まりをも意味します。朝が爽やかなもの、というのは資本主義のプロパガンダかもしれません。

ところでその『何か』は最近の出来事ではなく、「いつからか」わからないほど、昔のようだということも読み取れます。「そんな事わからない」という物言いからは、どれほど昔かなんて気にしても仕方ないという含意が伝わってき、むしろ気にすべきはその『何か』自体である、とその重大さを際立てます。

さて、次の段に行くにあたって、洗面所を出たように感じます。部屋に戻ったようですが、「何もない」のはその部屋だけではなく、空虚になった心をも指しているのでしょうね。居るはずだったピースが居なくなってしまった、というモチーフは、次アルバム 'ME! ME! ME!' 収録の "車" にも引き継がれていますね。

さて、ここまではなんだかんだ「匂わせ」程度の不穏さに留まっていたわけですが、サビになって物騒になってきます。転調に合わせ、「消えたかったよ」とストレートな言葉を発します。ヴァースの部分は独白のように聞こえますが、サビに入ると誰かに呼びかけているようです。この『誰か』には何があったんでしょうか。

実は、どうとでもとれるんですよね。「消えたかった」という表現は消えたいという願望の過去形で、特に実現しなかった願いを意味するものです。「家の掃除をしたかった(けれどできなかった)」からわかるように、時にはその言われることのなかった「けれどできなかった」が逆説的に強調されることもあります。

「あのまま」「あの頃のあなた」と消えてしまいたかった。遠い過去を美化してしまうのは「現在を生きられない」人間が典型的にしてしまうことです。廃人に近い状態で生きる主人公は、美しく儚いが戻ることのない過去にしがみつく脆い存在だ、と言えるかもしれません(最近公開された「レミニセンス」という映画にも通じるものがありますね。この前見に行ったんですけども、この映画は酷評されてるわりに考察すべきポイントもたくさんあってですね...)。厳しいながらも生き抜いていくべき現実に向き合うことなく、夢・過去に逃避して美しい幕引きを迎えます。

ということで、結局「何か」も「誰か」もわからないままこの物語は終わってしまうわけです。

 

解決できない

まず語るべきは、この歌詞のどこにも救いがないことでしょうね。「ぼくは消えてしまいたいけどきみがいるから(or きみを思えば)大丈夫」みたいなことでもないんです。どこを切っても鬱屈としていて、絶望の金太郎飴みたいな歌詞なんです。

提起された問題が何も解決せずに終わっていってしまうというのももどかしいところです。ここでいう問題というのは二通りの意味があって、一つは物語の主人公が抱えているものです。それへの解決の糸口=少しばかりの希望さえ見つかれば主人公は軌道に戻れるかもしれませんが、最後までそんなものは存在しません。もう一つは観客に問いかけられた謎です。今まで語ってきたような「何か」「誰か」の正体が明かされることなく、物語は終わってしまいます。そして、それらに抗い、それらを解消することは誰にもできないのです。この無機質な黒い物語のなかで主人公は廃人のまま生き続け、我々はそれに手を差し伸べることは出来ないわけです。

 

こんな演奏ができたらきっと音楽やってて楽しいよね

MISIA とか Superfly とかの高らかで朗々とした歌声を聞いていると、こんな風に気持ちよく歌えたら楽しいだろうなぁとよく思います。お風呂場では声が響くので容易く即席ディーヴァになれますが、一歩乾いた地面を踏みしめると声帯が蚊の鳴くように貧弱になってしまうのが一般人の悲しさです。さて、そんなことはバンド演奏にも当てはまります。人前では演奏せず、あくまで趣味でギターを演奏しているプレイヤーを「ベッドルームギタリスト」なんて呼んだりしますが、いやいや、こんな風に演奏できるならギグでも何でもやるでしょうよ。

曲を通して見れば、そこまで難しいことはしていません。白眉なのは、やはり終盤1分間にわたって演奏されるアウトロのパフォーマンスです。今までは4/4拍子で割合淡々と進行してきたわけですが、二サビ後からギアが上がります。5/4拍子と3/4拍子を行ったり来たりし出すんですね。拍子が変わるのと一緒にバンドも今までのパターンじみた演奏からスタイルを変えます。

歌詞がないのに、かえって一番メッセージが伝わってくるような感じがします。抑え込まれていた感情の爆発というか。一気にカタルシスに持っていこうというわけです。

また、こんなに重い歌詞でも、そこまで重た過ぎないように感じるのは歌声のおかげだと思います。のっぺりと感情のこもらない歌い方で、『ずっとずっと忘れないでね』には無邪気さすらあります。それがむしろ怖さを出している感もありますが。ジョーさんは本当にいろいろな歌い方ができますよね。

 

本人の解説

2020年に Vintage Version がリリースされたことを記念して、ご自身による解説動画もアップロードされました。

 

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三分半の曲を一時間にわたって語れるその熱量がすごいですけども。上で書いたもののうち結構な量の情報がこの動画から得られてますので、この曲が気に入った方はぜひご自身で聞いてみてください。

 

まとめ

ここまで、"ハミングバード" について、いろいろな側面から語ってみました。個人的には、"車" との類似性に気づけたのが一番大きな収穫でした。これについては、そちらの楽曲を記事にする際にじっくりと考えていきたいなと思います。