井上ジョー "Kizz"

歌詞がなんとも染み入りますね。

 

2020/07/03、お食事時にリリースされた新曲です。"Kizz" は傷を意味するんでしょうね。タイトル見たときは "Kiss" の別表記なのかと思いましたが、そういうわけではないようです。

 

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個人的にはこの路線はストライクです。つらいことも多いけど、ポジティブなことを見つけて顔を上げようっていう姿勢って、誰にとっても、たとえ今は順風満帆な人生を送れている人にとってさえ大切ですよね。ジョーさんがともするとハードモードの人生を送っているという事情を知っている身からすると、「ジョーだってこう言ってるんだし」って前向きにならざるを得ないじゃないですか。この曲に関して言えば、励ましてもらってさえいますものね。

なんだか、ジョーさんがまだこういう歌を作っていてくれている間は、漠然とジョーはまだ大丈夫だって思うんですよね。逆に言うと、こういう曲を作らなくなった時、作れなくなってしまったときが怖いなといつも思います。

 

この曲って、誰も登場しないんですね。主語がひとつもない。唯一、サビの最後に一度だけ「君」がでてくるくらい。というわけで、何が起こっているのかを推測してみたいと思います。

第一段と第二段は強いつながりがあるようにみえますね。「喧嘩しないで」という言葉は、意味の上で「喧嘩はやめて」と置き換えられることからもわかるように、自分以外の誰かの存在がうかがえます。ただ、その願いを口に出すことができず、それが何でもないのになかなか治らない傷となっていった。そう解釈すると、第二段の出来事(なんなら何度も同じことがあって)を経た後、第一段の状況になる、とも捉えられますね。「泣いている」ではなく「泣いていた」と過去形なのもこういうわけがあるんじゃないでしょうか。つまり、悲しい気持ちで家に帰る理由を第二段で回想してる感じ。

第三段はいろいろな情景が体言止めで余剰たっぷりに描かれています。一見これらはとてもはかなく美しいもののものに思えます。しかし、これは、第二段の出来事が何度も起きてきた、その場所やそのときの雰囲気を挙げているのではないでしょうか。一年を通して、様々な場所で、止めることができなかった喧嘩。ちなみにこれは私が一瞬誤解したことですが、ジョーさん大学行ってないのになんでキャンパス campus? って思いましたがキャンバス canvas は絵を描くあれのことですね。

ここまでの流れを整理すると、第一段は現在の悲しい帰り道の描写。第二段は第一弾の理由となった、昔あった悲しい出来事の回想。第三段はその出来事が起きた場所。

さて、サビとなる第四段です。これは、唯一の代名詞である「君」という二人称が現れる部分でもあります。これは、自分から自分への呼びかけのように見えます。君の「喧嘩をやめさせたい」と思う優しさ、しかしその優しさのためにそれを言い出すことができない。そのもろさを備えた優しさを一番知っているのは自分です。物事はなんでも二面性を持っているものですから、悪いほうだけではなく良い方にも目を向けようよ。そんな語り掛けなのではないでしょうか。

この一連のフレーズから、私は "ふたりでひとり / The Journey" を思い出しました。あの曲の後半部にも、悪いように思えるものを違う角度からとらえなおすことで良いものに転換する、そのような歌詞がありましたね。これは"幻"のMV考察でも述べたことですが、ジョーさんの曲にはしばしばこの二面性というモチーフが現れてきます。そういう視点から改めてジョーさんの視点を解釈しなおすと、何か新しい聴き方ができるかもしれませんね。