井上ジョーのMV「幻」についての考察 pt.5

前回の記事はこちらです。

 

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男性の名前や容姿がまったく明かされていないことも記しておくべきでしょうね。バースデーカードにも送り主の名前はないし、メールのやり取りでも、名前を呼びかけることはありません。部屋にツーショットがあるわけでもなく、回想シーンでも、手をつなぐ後ろ姿しか映されていません。特筆すべきは、宛先のアドレスすら見せないようにされていることです。事故にあった男性と花屋で働く女性という二人は恋人であるという理解はおそらく間違っていないのですが、その一方であれだけ徹底して男性の存在を消しているということも、この曲を一段階高めることに一役買っています。

冒頭でこの曲は男女の悲しい別れだと定義しましたが、MVで女性一人だけにフォーカスすることで、より普遍性のある曲にしているのではないでしょうか。つまり、視聴者は悲しい別れの相手を誰にでも置き換えられるのです。視覚効果は強いので、はっきりと男女の恋愛関係を映し出してしまうと、それはもう恋愛の曲になってしまいます。しかし、愛の形とはさまざまですよね。愛とは、性別や年齢、ときには生物という枠組みさえも超える多様な形を持つものです。悲しい別れを経験したとしても、絶対に見守っていてくれている。そんな希望をこの曲からは皆が感じ取ることができるのです。

全体を通し、ジョーさんの優しく語り掛けるような歌い方は、実際に悲しみに沈む女性に歌っているようで、本当に良いですよね。個人的に、ジョーさんはアコースティックギター一本でまじめなバラードの曲はまったくやらない印象があります。ラヴソングはたくさん作りますが、ロックやエレクトロな音が好みなようで、こういったストレートで王道な曲は結構珍しい気がします。そんな中で、この曲からは「こんな曲だって作れるし」というアーティスト・井上ジョーの意地が伝わってくるようでもあるし、彼の振り幅の広さには驚くばかりです。
ところで、「逆説」という単語は、井上ジョーという人物について知るときにはとても重要な鍵であるといえます。2ndアルバム 'Dos Angeles' 収録の ’’ふたりでひとり/The Journey’’ でもポジティヴな感情とネガティヴな感情の相克について歌っていますし、彼の動画の中でもよく言われるロジックです。この二律背反こそが、井上ジョーという人間を形作っているといっても過言ではないでしょう。

 

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なお、この曲には別のテイクがあります。2018年のアルバム 'Farmland' に収録の "Maboroshi (Vintage Version)" です。"幻" との違いをいくつか挙げておこうと思います。
・"Maboroshi" の二番は一番の繰り返し。
・"幻" ではリズムギターは抑えめでリードギターがメインとなっているが、"Maboroshi" は二本のギターの音量が同じ。
・"幻" は二番の途中からストリングスが加わり厚みが増すが、’’Maboroshi’’ はアコースティックギターだけの演奏となっている。
・"Maboroshi" のドラムはより電子ドラムっぽく軽い印象。
・"幻" はやさしい声が印象的だが、’’Maboroshi’’ の歌声はより軽い印象。


本人をして、より「シンプルな感じ」とのことで、おそらくこちらはデモ的な扱いに近いのではないかと思います。こちらがより原風景に近いわけで、ジョーさんの作曲の過程が垣間見えるようで聴き比べてみると面白いですよね。

 

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("Maboroshi" についてのコメンタリーは12:20-)

 

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五回に及ぶこの考察でしたが、納得していただける部分もそうでない部分もあると思います。人それぞれの解釈があっていいと思うので、今回の一連の解釈について何か感じたことがあれば、ぜひコメントなどしていただけるとありがたく思います。