井上ジョー "Hijiki Lounge"

「劇場型激情」。

 

2020年 夏 シングル祭り第六弾と相成りまして。

 

 

歌詞は note からご覧になれますので、例によってここでは日本語訳をしてみたいと思います。(訳詞には修正された箇所があります 2020/08/13追記)

 

第一段

 俺は部屋でひとり静かに座る

 血管を流れるのは煮えたぎる血潮

 胃酸をかき回し 混ぜる

 中を覗いてみろ 俺は炎の中で燃えている

 

第二段

 ぼくをホテル・ラウンジに連れ戻してくれ

 ぼくはきみを待ってるんだ

 

(日本語パートは省略します)

 

第六段

 今 これは俺の最悪の選択だったって身に染みて思う

 俺は本能に従っているべきだった

 しかし 結局

 そのかわりに

 俺はクソ理性的になって

 そして ここにいるってわけさ

 

第七段

 楽園へのチケットを失ったのさ

 

第八段

 もう思い残したことはない

 

第九段

 行かせてくれ

 

take a peek:「チラッと見る」

officially:本来の意味は「正式に」。ここでは慣用的に「実感する」などの意味で解釈しました。

g'damn :伏せ字にされてることをわざわざ明かすこともないとは思いますが、god damnです。

 

今までになかったタイプの曲で、これが 2:22 という短い曲だとは思えません。部分ごとだけ見れば意味は分かるような、でも全体としてみると支離滅裂な歌詞・・・王道ロックとは一線を画す、コア寄りなバンド・・・ころころと表情を変えるボーカル・・・。悪い意味ではないんですけどあえて言うと、聞きながら眉をひそめちゃう感じ。

何回か聞いていううちに、この note がこの曲の下敷きになったんじゃないかなって思うようになりました。記事に書いてあることを音源化した結果がこの曲なんだろうなと。相互に補い合う部分があって、ともすると難解なこの曲の理解を助けてくれるのではないでしょうか。まぁ、この曲は小難しいことは考えずに体で感じるのも一つの聴き方ではありますが。

今までのジョーさんの曲は、聞き取るのが大変なのに対して日本語訳はわりとしやすかったんです。歌詞さえわかってしまえば、解説動画とかで文脈もわかりますし、何しろ「口語」の歌が多いので。一方で、この曲や 'Wet and Dry' 収録の "Apocalypse" は「文語」の印象があります。曲数は多くないですが、堅い言葉を選んで使われているものは何だか身構えてしまいます。この分類が曲の優劣に直結することはありませんが、一つの要素として。

この曲は、二つの曲が一つになっているような感じがしますね。バンドの演奏も歌詞も、静と動でできている。

怪しくて激しめの演奏の英語パートと、少し落ち着いた印象の日本語パート(第二段は英語ですがこちらに含まりそうです)。真ん中に挟まった日本語パートを抜いて英語パートをくっつけると、アメリカを出てオランダへ行けなかった悲しみと怒りというテーマが通っている気がします。とはいえ、今除外した日本語パートに目を向けてみると、こちらは英語パートよりも難解です。なにを比喩しているのか、どうつながっているのか・・・。

第三段の前半二行は、和食をさしているんでしょうか。タイトルの「ひじき」を聞いてこのひじきを想像したのはあなただけではありませんが、今回はどうもその路線ではないような。「ひじきにぎり」は「ひじきのおにぎり」以上に何かを意味するのでしょうか? いつもだったらいろいろと想像のしがいがありますが、今回ばかりはむしろ何も意味していないように感じます。前半二行と後半二行は、まったく文章としてはつながっていないように見えますね。「それにしても」という接続詞を使っても、つなげようがありません。というわけで後半二行を独立したものとしてみていきますが、まぁ公共バスで何か嫌がらせを受けたのかなぁくらい。かなり前の動画に正義感ブン回し系のエピソードがありましたが、バスと聞いて思い浮かぶものは特にありませんなぁ。難解です。

第四段では、二つの文章が分割され再構築されているように個人的には思えます。一行めと三行め、二行めと四行めという文章だったものを組み合わせたような。真意はこちらも同じくわかりませんが、二つの情景が同時に再生されている感じといい、支離滅裂さといい、語尾の言い訳がましいような言い聞かせるような言い方といい、死を目前にして意識も記憶も混濁しているようなグロテスクさを感じます。

第五段。先の note も、異なる世界線をベースにして書かれています。そっちではどんな世界が広がっているのでしょう。

 

というわけで歌詞を一通り考えてみたわけですが。 私の感想としては、曲調は好きだけど重すぎると言っておきたいです。これを何年かあとに読んでる人がいたら、もしくは自分がいつか読み返したときどう思うかはわかりませんが、今の状況ではどうにもリアルすぎて。執筆時点(2020/07/13)ではあの note が書かれてから二か月ほど経っていますが、状況は芳しくないように思えます。本当の湯加減はもはや歴史になるまで誰にも分りませんが、決して明るくはなっていないように思えます。そんな中ではどうにも真正面から受け止めるには重すぎる。

なんにせよ、ジョーさんのディスコグラフィの中で記念碑的作品になったことは間違いないでしょう。

 

(12日のリリース直後の記事とは内容を大きく差し替えていますのでご了承を)