井上ジョー “We Are One”

ぼくらはひとつ

 

この曲は2016年のアルバム 'Joepop #2' に収録されています。結構長めの曲ですが、それだけ濃厚に要素が詰まっていることがうかがえます。

 


"We are One" ミュージックビデオ Joe Inoue

 


"We Are One" Music Video + Commentary

 

歌詞が一番と二番で違っていることから、ノリよりもメッセージ性を重視していることがわかります。脚韻もよく練られていて、詩だけ見てもなかなか面白いですね。

ざっくりとこの詩の要旨をまとめるとすれば「差別をやめよう」ということ。特に一番の歌詞にそれは顕著です。小さなころ、無心で遊んでいた記憶を回想するシーンから始まります。彼らが掲げるVサインは泥にまみれてはいますが、この世で一番美しく平和を体現していることでしょう。

続くパートは特にこの曲において核心に迫る部分だと個人的には思います。少し引用しますね。

白でも黒でもなけりゃ

白くも黒くもあれば

「白」「黒」といったワードは人種を強く連想させますが、ここで少し立ち止まって考えてみましょう。果たして「白」「黒」が表しているのはそれぞれ「白人」「黒人」でしょうか。

一つの解釈として、この二行は二人種の対立ではなくジョーさん自身を表していると見ることができます。言うなれば、ジョーさんはルーツとしては「白」でも「黒」でもなく「黄色」ですが、人種のるつぼたるアメリカにあって「白」も「黒」も浴びて生きていたはずです。肌の色という要素からなら割合簡単に人々を枠に落とし込むことができるかもしれませんが、精神的な面からはそうさっぱりとわけることはできません。よくアメリカの人種対立は「白 vs 黒」の構図で描かれがちですが、その構造に入っていない(意図的に「外されている」とも捉えられますがそれは置いておいて)「黄色」のジョーさんだからこそ、お互いに影響しあっていることから生まれるこの割り切れなさをきちんと見つめることができたのではないでしょうか。実際、「線(ライン)なんて引かなくていい」「類別も不要」という表現からも、融和の在り方が示唆されています。

 

コメンタリーにもありましたが、この曲はギターに注目です。

ヴァース部のギターは一番と二番で大きく異なっていますね。一番ではギターは高音で同じフレーズを弾き続けていて、ベースやボーカルとは融合せず我が道を行っている印象です。しかし、二番からはギター同士の掛け合いが始まって、なかなかテンションが上がります。

 

二サビ後に「世界の楽器パート」が用意されているようですが、私にはまったく何のことやらです。どなたか聞き分けられた方がいらっしゃいましたら、どうぞコメントのほどよろしくお願いします。