井上ジョー "Odaiba"

「ジョー × 夜景」は最高のタッグじゃないですか?

 

この曲は 2017 年のアルバム 'Salvage Demo Session #1' のオープニングチューンです。わりとシンプルな感じがしますが、Demo 扱いではないんですね。良曲です。

 

 

この曲は初公開はかなり古く、2012年12月。今聞けるものと同じ曲かどうかは定かではありませんが、大枠には共通するものがあったと思われます。何なら、概要欄に2009年ともありますので、起源はもっと古いのかもしれません。

この投稿のコメント欄で「Owl City っぽい」って言われてますが、何となく言いたいことはわかります。この曲調が好きな人は聴いてみてください。

 

私はこの曲の歌詞が本当に大好きみたいです。この記事はいつにも増して、ほとんど歌詞の話になると思います。私がどう思ったかていうことなので、へぇこんな風に思う人もいるんだなぁくらいに読んでくれればいい距離感だと思いますよ。

 

こういう言い方すると「いやどっちなんだよ」って突っ込まれそうですが、「きみ」との歌ではあるもののデートっぽくはなくないですか? ジョーさんが「きみ」との歌を作るとき、だいたいは片思い中か、付き合いたてほやほやハッピーみたいな、そういう甘酸っぱさがあります。こう、青春の一ページを切り取る感じですよ("Gravity" や "Hora, Sora Iro No Namida" とかは例外的ですね)。

そんな風に考えてみると、対してこの曲には甘酸っぱさはあまり感じられません。むしろ、もう結婚して三年くらいたったぐらいな空気感を感じるんです。これだけ名所を回っていながら、お台場デートは目的じゃないような感じがするんですよ。恋じゃなくて愛みたいな。(個人的なイメージですが)'Joepop #1' みたいな、悩みつつもいとおしいようなそんなキラキラした青年期はもう過ぎて、影も見えるようになったうえで光を信じようとする大人になったのかなと。

わびさびを感じるんですよ。この曲に使われている単語はポジティブなものばかりではなく、(まぁネガティブとまではいわずとも)みな影がある。だからこそステキに思えるし、身近に思えて愛着を感じる。人間ってみなどこかに暗いものを抱えてますから、なのかもしれませんね。「光」と(対比的、逆説的に)「影」を強く意識させるような言葉選びをしているように感じます。

 

「寂しげな街灯」からいきなりいいじゃないですか。なんとなく、ほの暗い街灯が広めの間隔で並んでいて、なんならまっくらな場所もちょくちょく出来ちゃってるような感じがします。 LED じゃありませんね。かといってガス灯なわけでもない。これは結構年季の入った白熱電球です。

さて、舗装済の歩道は、そんな頼りなげな明かりに照らされてうっすら微笑んでいるようです。石畳でも赤レンガでもなく、安心感のあるアスファルトです。雨が降った水たまりに光が反射しているんでしょうか? それとも、不安げな街灯を励ましているのでしょうか?

ここでいう橋は、『くまのプーさん』でおなじみのあの桟橋というよりは、Zoom の背景にもなったシスコの Golden Gate Bridge くらいの屈強さをもってるでしょうね。お台場で言うならレインボー・ブリッジです。これを歩いて渡るさまがもうなんてラブリーなんでしょう。謙虚で非常によろしい。お邪魔しまぁすって囁いて、「きみ」と静かに笑いあってる様子すら目に浮かんできましたよ。

 

さぁ、舞台はモノレールの車内に移ります。お台場に当てはめればこちらは東京モノレールに相当しますかね。モノレールって大体の電車とは違って、普通にボックス席があるんですよね。四人が向き合って座るような席があって、それに向き合って座ってる感じがします。

外の街灯の様子とは違って、蛍光灯の明かりは白々しさすら感じるほど明るいものですが、言葉少なに窓の外を眺める「きみ」の目には違う世界が映っています。都会の高級な夜景と捉えることもできますし、目は心の窓というように「きみ」の『中の』風景とも捉えられます。いずれにせよ、それが「ぼく」にとっては筆舌に尽くせない至福であって、さらには「きみ」がいかにかけがえのない存在であるかを再認識してすらいるように思えます。

 

そんな「きみ」につられて、「ぼく」も窓の外に目を移します。お台場という大都会でありながら、モノレールの窓で隔てられたそこには誰も居ない。不思議な状況ながら、特別違和感を感じない。感じるのは独特の浮遊感と安心感でしょうか。モノレールを降りて向かうは観覧車です。パレットタウン大観覧車ってやつでしょうね(ちなみにこちら、条件付きで 22:40 まで楽しめるそうです。けっこう遅くまでやってるんですね)。観覧車の狭いゴンドラで、つかの間の非日常を感じながら幸せをぐっと噛みしめています。

 

真夜中、もう日付はこえているでしょうかね、人は寝静まり、ほとんど車も通らない。機能を停止した街の寝息すら聞こえてきそうな夜、そんな夜にきみとふたりで手をつなぐ高揚感たるや! もう盲目に恋をするような年じゃない。きみと過ごす時間はもはや「日常」になっている。それでも、ちょっと遠出した帰りの節々で、その「日常」がいかに繊細でかつ美しいものかを実感する。30代の、ささやかな、大人な、そしてキュートな日常。

 

音の処理の仕方もなかなか興味深いです。コードを奏でるピアノ、リフのシンセサイザー、歌声の声質にはやさしさを感じます。一方、ヴァース部でのシンセ、エレクトロな感じのするドラム、過剰にオートチューンをかけるボーカロイドのようなボーカル処理からは、機械的な印象を受けます。温かみと、ともすれば冷たい響き。この対比には意味が込められているように思います。

この曲だと特に、シンセサイザーが躍動してますね。じっくり聞いてると、こんな音入ってたんだっていうのが結構ありました。サビでハァァァァっていう高音のサポートが入ってたり、ベースの役割をする単音シンセとかね。同じくサビでのハモリ方も独特です。ヴァース部ではオクターブ下で歌ってるからわかりやすいですが、どっちが主旋律を歌ってるんだ? みたいな。

 

とにかくこの曲の白眉は歌詞です。みなさんにはこの曲からどんなストーリーが見えますか?

 

 

オリンピック競技がお台場で行われているのに合わせて、日本時代にお台場で撮影されたという写真が公開されました。いやぁ若いですなぁ。